カット打法禁止のきっかけは阿部慎之助の父だった
花巻東の千葉が泣いたあの規則。
特別規則17項が設けられるきっかけとなったのが72年夏の東洋大姫路の9番・前原正弘選手だ。
前原は千葉と同じくレギュラー最小兵の1メートル66。ファウルで粘って四球を選ぶカット打法は兵庫大会(12打数無安打10四球)からバントか否か議論を呼び、迎えた習志野との1回戦。初回2死一、二塁から2度カット打法でファウルした。
1度目に習志野の捕手・阿部(巨人・阿部慎之助捕手の父)が「バントだ」とアピール。2度目に郷司球審から「フォロースルーをするように」と警告された。警告後の前原はカット打法はせず、2打数無安打で四球もゼロだった。
これを機に17項が設定され、92年センバツ決勝で東海大相模の吉田(元近鉄)が帝京のエース三沢(元巨人)の投球をカットし、スリーバント失敗に取られた。
高校野球は試合時間が決まってますからね。
あんまり粘られても困るんでしょう。
しかし、こんなところで突然名前を出されてしまった阿部慎之助。
本人もびっくりなんじゃないでしょうか。
もしかしたら、お父さんの方もびっくりかもしれませんね。
こんなに時間が経ってから、自分の高校時代の話を引っ張り出されるとは思ってなかったでしょう。
しかも、本人はプロ野球選手ではなかったわけで、息子がプロ野球選手でなければ名前が出ることもなかったでしょう。
めぐり合わせというのはなんとも不思議なものです。
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