FC東京主催の人権研修を受けて感じたこと~問題行動とユーモアの境目~

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先日、柏戦の前に行われたクラブ主催の人権研修を受けてきました。
その中で、しつこいくらいに言われていたのが「受け手がどう感じたかが重要」ということ。
このことについて、少し考えてみました。

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受け手と送り手の信頼関係

今回この研修の中で話が出ていたのが、「同じ行為でも受け手によってはユーモアになり、また別の受け手によっては問題行動になる」ということでした。

例えば、他チームの選手にバナナを振ったら差別行為になるかもしれないが、長友に向かってバナナを使ったアクションをしてもネタとして扱ってくれただろうという例が出ていました。

現状ではバナナの問題が大きくなりすぎたので微妙な感じですが、この問題が大きくなる前ならネタとして扱ってもらえた気がします。人種として同じ日本人同士というのもあって、少なくとも人種差別と扱われることはなかったと思います。

しかしこの例、長友がいつどこでバナナのアクションをされても怒らないかと言われたらそうではないと思うのです。
東京サポは長友に深い愛情を持っています。それはきっと長友本人にも伝わっていることでしょう。(と、信じたい。)そこに信頼関係があるからこそ、差別だと言われかねないようなことをしてもそう受け取らず、ユーモアだと扱ってくれるのです。

これが、長友が今戦っているヨーロッパの舞台だったらどうでしょうか。ミラノダービーの最中に、白人のミランサポーターが長友に向かってバナナを投げたとしたら。
これは、多くの人が差別と感じるのではないでしょうか。

受け手の立場だけでなく、お互いの信頼関係も「ユーモア」を成立させる一つの要因だと感じました。

送り手の立場による変動

信頼関係がない相手でも、立場によってはユーモアになることもあります。
例えば、降格危機のときに浦和に出された「祝・J2東京ダービー」という弾幕。
東京サポはめちゃめちゃ怒りましたね。

ですが、このタイミングでなにかの都合でヴェルディと対戦したとして、同じ弾幕を出されたとしたらどうでしょうか。(彼らは絶対やらないと思いますが「仮に」です。)
「お前ら上がる気ないのかよwww」と笑えたと思います。

送り手の立場から、自虐的なメッセージが入っていると、普段なら怒ってしまうような言葉も笑えるのかもしれません。

清水のサポーターには「9人で勝っちゃった」という弾幕を出されたこともあります。
読みようによってはかなり挑発的に感じられる文言ですが、この弾幕に対して怒っている東京のサポーターはあまり見た記憶がありません。
これも、少々の自虐的要素が入っていることが怒りをやわらげる要因なのかもしれません。

まとめ

ユーモアというのは、相手との信頼関係があってこそ成り立つものです。
信頼関係がない相手にたいして「ユーモアだから受け取れ!」と押し付けるものではないのです。
最近流行っている芸人の「いじり」というやつだって、信頼関係がないのに表面だけを真似すればただのいじめになりかねません。

そう考えると、東京サポのコールはかなりギリギリというか、場合によってはアウトなのかもしれません。

ついでに言えば、信頼関係がある相手からの言動は許容範囲が広くなるのとは逆に、嫌いな相手からの言動に対しては許容範囲が狭くなるということも考えられます。
「内輪のノリ」を外に向ける際には注意が必要ですね。

ただし、挑発行為をすべて排除すべきかと言えばそれも違うと思うのです。
この研修で社長もおっしゃっていましたが、ブーイングも挑発行為です。それまでを排除するのかと言えばそれは違う。
試合のスパイスとしての挑発行為と問題行動のラインをどこで引くのか。
非常に難しい問題です。

難しい問題だからこそ、考える人を増やしてほしいと研修内で社長がおっしゃっていました。

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