新国立競技場問題、すでに支払われた60億円は本当に無駄なのか?
最近、様々な議論を引き起こしている新国立競技場問題。
先日、60億円の支払いが完了または確定しており、その大半が戻らない見通しだという報道があり、無駄遣いだとの批判を受けていました。
しかしこのお金、本当に無駄遣いなのでしょうか。ちょっと考えてみました。
このお金はなぜ「無駄」と呼ばれているのか
この60億円、そもそもなぜ無駄なお金だと考えられているのでしょうか。
その理由は、まだ何も進んでいないまま60億円という大金が宙に消えたように見えるから。
ニュース映像などで見るとわかりますが、国立競技場の跡地は現在完全に更地。
何もなされていないのに60億円というお金が動くことが非常に無駄だと思われているのでしょう。
「何も出来上がっていない」=「何も進んでいない」ではない
何も出来上がっていないからと言って、何も進んでいないわけではありません。
おそらく施工が決まった業者は材料の手配をしたり人を確保したりと準備を進めていたはずです。
さらに、一番もめているのがデザインの部分ですが、コンペで選んでしまったのは事実ですから「やっぱり使わないからデザイン料は払いません」というわけにはいかないでしょう。
建物自体の工事はなにも始まっていなくても、すでに動いている人たちがいるのですからそれらを支払わないというわけにはいきません。
それらの費用がもろもろ積み重なった結果が、60億円という金額になったのでしょう。
サンクコストという考え方
経済学には「サンクコスト」という考え方があります。
人間というのは不思議なもので、今までかけてきたコストを考えるとベストな判断を見誤ってしまうことがあります。
いままでかけてきたコストや時間はいったん無視して、これから先のコストについてベストな選択をするという考え方です。
今回の場合、すでに支払ってしまった、支払いが確定してしまった60億円がこのサンクコストにあたります。
「60億円もかけているのだからこのまま進めよう」と考えるか「60億円の損失があってもプランを変更した方が得だ」と考えるか。
それを天秤にかけて、60億円の損失を出してでもプラン変更をするほうが得だという結論に至ったのでしょう。
今までの日本ならプランを強行していてもおかしくありません。
一度始まってしまったことは、何があっても進めていくというのが今までの日本のやり方だったのではないでしょうか。
確かに、初めから適切な手法を選択できていれば不要な60億円だったのかもしれません。
しかし、もっと大きな損失を事前に食い止めるプラン変更ができたというだけでも評価すべきなのかなと考えています。