ブーイングに拒否反応を示す日本人が多いのは武道の精神が要因かもしれない

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挑発行為や観客のマナーについて考えたとき、サッカーファンとそれ以外の人の間で大きく意見が異なるのがブーイング。

サッカーファンはブーイングについてサッカー文化のひとつとして肯定的に捉える人が多い一方で、普段サッカーを見ない人からは否定的な声が多く聞こえるように感じています。

では、ブーイングに対するこの拒否感は何が要因なのでしょうか。
少し考えてみました。

2014-10-22 19.28.48

武道の精神と相容れぬブーイング

武道の精神とは「礼に始まって礼に終わる」が基本精神。
そして、それは観客にも求められるべきだと考えられているようです。

武道とブーイングについて書かれた記事としてこんなものがありました。

時折会場の観客席から発せられるブーイングに、すごく違和感を感じる。海外での大会では普通のことのように発せられるブーイング…でもそれって柔道の会場にはしっくりこない。武道とは礼に始まり、礼に終わる…その心得は見てる側にも求められるハズ…もっと見る側も行儀よく見ろよ..って思うのはオイラが日本人だから?。

柔道会場の“ブーイング”に思う…: Yoshi’s Style:So-netブログ

サッカーではなく柔道だとすれば、この感覚に同意できる方は多いのではないでしょうか。

しかし、日本人だからといって柔道や剣道など、何かの武道に携わった人ばかりとは限らないはず。
それなのになぜ、ブーイングに拒否感を示す人がこんなにも多いのでしょうか。

日本人に強く根付いている武道の精神

ブーイングに対して拒否感を示す日本人が多い理由として、日本の教育の根底に武道の精神が根付いているということが考えられます。

というよりも、この武道の精神こそが日本の文化なのでしょう。
「敵に塩を送る」「武士の情け」など、相手に対して情をかけるような言葉も日本の慣用句として多く見られます。

「正々堂々」の精神を、学校や日常生活などでいつのまにか身につけているのが日本人なのではないかと思います。

サッカー観戦でのブーイングは「有り」だと思っている私ですが、柔道や剣道の試合でブーイングがあるという話を聞いたときには違和感がありました。

これを考えると、そもそも日本人にとってブーイングとは「これが文化である」という理論の裏づけなしにはなじみにくいものであるのかもしれません。

最後に

日本の柔道が形を変えながら海外に取り入れられているのとは逆に、Jリーグは海外サッカーの文化を取り入れながら日本独自に進化しています。
時々、文化の対立が生じるのも仕方がないことなのかもしれません。

上記の記事に以下のような一文がありました。

外国の地で開催される柔道(オリンピックとか)を見ながらつくづく思うのは、日本の国技であり武道だった柔道は、今や単なるスポーツとしての“JUDO”になってしまったんだなあ..という事。

柔道会場の“ブーイング”に思う…: Yoshi’s Style:So-netブログ

こんな風に、異なる文化と触れ合うとそのスポーツを取り巻く環境が変わることもあります。

これを日本人が残念だと思う一方で、世界に受け入れられるためには必要な変化だったと考えることもできます。

その逆に、スポーツと触れ合うことで人の考え方が変わることもあるかもしれません。

ブーイングに拒否感を感じる人にいかにサッカーに触れてもらうのか、海外から取り入れた文化の何を残し何を日本風に変えていくべきなのか、Jリーグの観客を増やすためには考えていくことも必要なのかもしれません。

サポーターのできることとしてはブーイングにこめられた「意味」を説明していく他ないのかもしれませんね。

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